2017年7月15日土曜日

vol.108 # 水は高きよりきたりて







水は高きよりきたりて、低きにいたる。

方丈庵の住人はかつていった。

行ク川ノナガレハ絶エズシテ、シカモ本ノ水ニアラズ、ヨドミニ浮カブウタカタハカツテ消エカツテ結ビテ、久シクトドマルコトナシ




運河には上流も下流もない。それはカテーテルのバイパス手術のごとくである。
両側を堰き止められた状態は、海よりも低く、上流から下流へ流れるという時の感覚を実感することができないでいる。
そして向かう上流の堀川は壱米七拾も高くさかのぼらねばならぬ。

近代の線的に未来へ向かう時間はここにはなく、かといって円還のようには閉じられてもいない。








   一年前のあの日、新幹線の音にかき消されて聞こえなかった白楽天と住吉明神
  の問答が、一年半後になって松重閘門に木霊した。






白楽天は言った。

「こうやっていくつもの、この運河にかかわった人、運河についての記憶がある人、運河沿いに住んでいた人、それぞれの物語を落穂拾いのように拾い集めていったい何になるというの!?
じっさいこの運河は今、やくだたずのやっかいものでしかないのよ!
それに、考えてもみて、じっさい津波がきたら、すべては押し流されて無に帰してしまうのよ。それでもあなたはそんな塵のような小さな一つ一つの物語を拾い集めるというの!?」





住吉明神は返した。

「パナマにはパナマの、中川には中川の\為がある。」